自由と孤独

 

就労支援A型体験です。五日間です。
少人数で気をつかってはくれているらしく
気持ちは、一般就労での初日の緊張感はない。
今は、無理できない。
よく分かってる。だから、焦ってはだめ。
ゆっくり、ゆっくり
出来ることをやらないと。
 
もしアパート居られなくなったら、どうするかは
まだ決めてない。
 
とりあえず働かなければ。
ちょっと急ぎすぎた感じはある。
まだ失業保険はかなり残っている。見学に行ってしまった以上、話を進めなければ…
あんまし待ってもらえそうになかったし。
以前、就労支援A型は利用していたので受給者証はある。だから待機せずに働ける。
 
以前のようなガッツは出ない。
追い込んではまた潰れてしまう。
しかし、たまたま行ったところに見知った利用者がいるとは…
色々口止めしたいところだけれど、
あまり喋りそうにない静かな子なので放っておこう。
 
今日は診察日だったから、主治医に話した。
 
連絡先がないというのは、気分的にかなりキツイ。ワーカーさんにも話をしたが、
『前回は仕方なかったけど、住むところがないから入院できるものじゃないのよ』
と。まぁ正論です。うん、前回はなんだったのかな?
 
主治医
『入院したら?』
いや、だから、ワーカーさんがね。
『路上で調子崩して入院』
いやいやいやいや。
急ぎじゃないなら今考えなくても、なんて言われても。今も先も同じじゃん。
 
けれど、『今考えても先考えても自分がどうにか出来る問題じゃない』というのは正しい。
 
路上か、車かなーって。
 
そうだ、車があるな…盲点だったわ。
一応凍え死ぬことは回避できるかなぁ。
 
結局、この問題のせいで頭痛が酷いんだろう。
 
 
何処まで自分を捨てたらいいのかな。
住むところだから必死にならないといけないのかな?
何か代償にして済むなら、そうした方がいいのかな?
優先順位がわからない。
 
何かが痛い
自分の真ん中が
 
もしも魂というものがあって
輪廻みたいなものもあるなら、
はっきりいって要らない
もしも悪魔が存在するのなら、
この人生が終わったら、もう廻らないように
たべてくれたらいいのに。
その代わり、生活に困らない基礎が欲しいな。
 
生まれ変わったら今度は…とか、
もうこの人生でお腹いっぱい。
疲れた。疲れた。疲れた。
時間は何のためにあるのかな?
私の目の前に広がる世界、街、人は、
私には必要ない。いくつになろうが、かまわない。子供の年齢だけ覚えていたらいい。
笑い合うことも、喜びも、
子供と以外要らない。
 
あぁ、もう他人の人生と関わりたくない。
他人が一冊の本にしか視えない。
頭がメルヘンだ。でも、そうやって定義してないとあやふやな存在になって余計に頭痛い。
 
好きなものはあるし、やってみたいことも
無いわけじゃない。死にたいわけじゃない。
この長い死ぬまでの時間、
絶望し続けたいわけないじゃない。
楽しい未来は待っていなくても、
気を紛らわすものが欲しい
 
 
ちょっと久しぶりに、答えが見つからず
判断ができず、
古くからの知り合いに電話した。
まだ細くも繋がっているだけすごいなって
思う。
 
誰にも関わらず、誰からも関わられたくない
は、自由だと言われた。
自由という言葉の響きが、
『=孤独』にきこえた。
それが、同じ意味だということを
私は身をもって知っている。
ただ、知り合いが使った言葉が『自由』だっただけだ。
表現が違うだけで指しているのは同じだ。
 
私の中で違うのは、その孤独=寂しいではなくて、孤独だからこその自由なのだと。
満天の星空を見上げる人が私なら、輝く星は他者になる。真っ暗な大地から輝く星を見る。
私と星の距離くらい、
隔たりがある。それはもう、どうすることも出来ないと思う。
 
あの星は、あの人だろうか?
…なんでまだ好きなんだろうか。
まだなんとなく思い出せる姿
けど、一年しか経ってない。
最後に会いに行って数ヶ月。
 
実は、貴方の名前、すぐ思い出せなくなってる
きっと、思い出の中の感情だけ小さく残ってしまってるんだろう。
 
 
さて、寝ますか。